2014年9月29日月曜日

報道の自由、表現について


ここに面白いビデオがある。アメリカに横槍を入れられた報道がまかり通っていたことを暴露する本がドイツで出版された。新聞はニュースそのものでは金が稼げないから広告料で食っている。大切なのはニュースの内容、質ではなく広告主、スポンサー、そして新聞社の株主の意向だ。これはメディア全般に共通している。テレビ、ラジオ、新聞も事実、真実はあまり重要ではない。クーデターの際に真っ先に狙われるのはテレビ局ラジオ局だ。報道をコントロールしたものが勝利するからだ。日本の報道は世界と比べても比較的自由だと思うがやはり注意を怠るとすぐに騙される。直近の例;御岳山で心肺停止状態とは、まったく馬鹿げた表現だ。医者が死を宣告するまで人間は生きているというのだろうか?1:19 people who still believe that we have something like a free and independent media. ドイツの報道関係者にこの暴露本はわかりきった内容だが、この国に自由で独立した報道が存在すると信じているおめでたい人間がいること自体が驚きに値する。

聖書の冒頭にはじめに言葉ありきと書かれているが、これは絶対の真実だ。言葉を制したものが勝利するのは古今東西に共通する普遍、不変の真理だ。 5:13 it's not a fucking book. it's a weapon. a weapon aimed right at the hearts and minds of the weak and the desperate. It will give us control of them. 聖書はただの本じゃねぇ。兵器だ。心の弱い奴や精神的に追い詰められた奴らを狙い撃ちする兵器だ。あの野朗の聖書さえ手に入れば、世界を支配できるんだ。


参考リンク
http://bridge-english.blogspot.jp/2013/12/blog-post_4167.html  聖書は聖なる書ではない